らんちゅうブログ
2015年3月 5日 木曜日
昨年の闘病
雌親は産卵が激しかったせいか産卵翌日には養生用の舟で死亡していました。
種親を失っているので何とか病気を治して種用でも残れば・・・・
そんな思いで治療を始めました。
魚の病気の治療は徹底的な隔離と、使用した手指や器具をイソジンで消毒しなければなりません。
一舟の魚の病気の治療が原因で自分の魚を全て失った経験を持っている方も多いと思います。
病気の治療に大変な労力を使い約一か月の期間を経てなんとか半数程の稚魚が生き残りましたが、
治療に塩を併用した事もありほとんどの魚の尾は捲れてしまいました。
それでも何とか種魚にでも・・・・
そんな期待もあって隔離しながら飼育を続けましたが、むなしい結果となりました。
3か月に渡り3回の感染試験を行いましたが、3回とも見事に感染して5日程度でパイロットフィッシュ達は死亡しました。
痛恨の極みですがその稚魚達は諦めました。
長い間ブログの更新も出来ずに昨年の事を一気に書く事は出来ないのでボチボチと書きます。
さらに今年は昨年の二の舞にならないように治療薬の開拓も進みました・・・・かな?
今年の出発はどの舟にどの魚がいるか分からないという所からです。
というのもいつも毎日付けていた筈の飼育ノートの記載が10月2日で途絶えているからです。
多分異常な寒波がきて一時冬眠状態になった(魚が?私が?)からでしょう。
11月頃か12月頃か忘れたけれど日曜日で丁度珍しく朝の診察がない日で暖かい日で・・・・
一つしかない空き舟を利用して冬眠準備の水替えをおこないました。
魚達を次から次に違う舟に移動させなければ作業がはかどりません。
ちゃんとノートに書いておかないと来年困るよ・・・と思いながら疲労から朝まで眠ってしまい。
翌朝はすでに記憶が定かでは無かった!
という事だけは鮮明に覚えています。
つづく
投稿者 石原